副島隆彦の「今年の抱負」・渋谷の妹殺害・ホテルカルフォルニア

新年早々、渋谷の歯科医の自宅で悲惨な事件が発覚し報道されましたが、それについて2chのスレッドで「今年のキーワード(流行語大賞)は『夢がないね』に決まった」という書き込みを見てハッと考えることがありました。事件そのものは大変なことですが、不謹慎ながらそれを題材にして概略を述べます。詳細を書く時間がないので概略のみです。

この事件を知る前、年末だか新年になってからか忘れましたが、誰かのコラム(どこに掲載されていたのか忘れてしまった)でイーグルスの「ホテルカルフォルニア」の意味について書いているのを読みました。1976年の有名なこの曲は、当時中学生だった私もよく聴いた曲です。哀愁ただよわせるメロディ・ボーカルとギターソロは今でも鮮明に記憶していますが、その歌詞やメッセージに思いめぐらせたことはありませんでした。(you tubeよりhttp://www.youtube.com/watch?v=gabUSKzRl0A&mode=related&search=

しかし、そのコラムを読んで、70年代のアメリカを象徴する内容であったことを知り、納得した中で今の日本に通じるものを発見しました。それは後で述べることにして、この曲について話を進めます。コラムではこの曲は「アメリカンドリームなんて幻だった」ことを歌っている、と書いてありました。特に詩の中で象徴的な部分は次のところです。

So I called up the Captain,
'Please bring me my wine'
He said, 'We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine'
僕はキャプテンを呼んでいった
「ワインを持ってきてくれよ」
かれはいった
「私どもでは、69年からスピリットは切らしています」

1969年は有名なウッドストックが開催された年で、それ以降音楽は金儲けの対象となり、本当のロックはなくなった、ということを上の詩は表しているそうですが、spiritはご存じのとおり「酒(アルコール)」の意味の他に「精神」とも訳されます。「人類はエデンの園で生まれカリフォルニアで終わった」ということばがありました。ずいぶん昔に読んだ本の中に出てきたものです。フロンティアの最果ての地ウエストコーストは、希望と絶望の象徴であり、多くの映画や小説の題材と舞台になっています。「falling down」という映画にもそのあたりの意味がよく描かれています。

この曲の解釈についてさらに詳しいことは次のサイトに記述してありますので参考にしてください。http://g-onion.hp.infoseek.co.jp/hotel%20california.html

さて、副島隆彦先生が新年の抱負を述べられています。HPhttp://soejima.to/の「今日のぼやき」の元旦の書き込みです。その中で副島先生は、今後2年間かけて「ゆったり・のんびり道場を作る」と述べられています。主旨はリンク先をご覧になっていただくとして、次の部分を引用します。

こんなにも衰退(すいたい)国家になりつつある日本で、なにをあくせく人にこき使われることがあろうか。まったく気など使わないで、のんびり・ゆったりして、好きなだけ何十時間でも眠ればいいのだ。そうすれば命が延びる。

ここからは、詳細を書く時間がないので、一気に結論に行きます。日本はこれからさらに搾り取られていきます。「夢がない」状況が続いていくのです。なぜそう断言できるのか。それについては「レイシオ」の思想、つまり世界をコントロールしているユダヤ金融の正体とその根本思想を理解すれば自ずと分かることです。しかしそれについて述べている文献は少数です。しかし、近代成立から500年経って、ようやく日本でも世界基準の情報を手に入れることができるようになり、意識とセンスのある人にはその意味が分かるようになりました。

分かった人は、それ以降どう生きるか、ということを考えればいいのです。分からない人は「夢がない」状況が続きます。ここに副島先生が「ゆったり・のんびり道場を作る」意味があると考えるし、私が今年から取り組んでいくことも同じ主旨なのです。ですから、副島先生の新年の抱負を読んでぐっと来たものがあり、「夢がない」日本をどう生きるのか、訴えていかないと強く思ったのでした。