日本人の宗教を探す旅

世界基準(ワールドヴァリューズ)としては、自分の宗教は何か、ということに対して明確に答えられない日本人は、へんてこりんな民族であり、信用されない理由になります。

また、仏教にしてもキリスト教にしても、日本に入ってくると変容してしまっているようですが、このことに対して「それは日本教に取り込まれたにすぎない。日本人は気づいていないが日本には日本教という強烈な宗教がある」と定義したのが山本七平氏です。

最近は神道がクローズアップされているような気がします。小林よしのり氏も著作の中で、「日本人の宗教は神道である、と憲法に謳えないものか」と述べています。私も「葬式屋」に成り下がった現代の日本仏教は自分の宗教として認識したくないのですが、それでは神道か、といわれると今ひとつピンとこないものがある。それはやはり、明治以降に国家に利用されるなり、変節した部分があるからです。

最近副島隆彦氏が、「日本神道とは道教である」と発言しています。(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」2006.5.5より引用)

更に重要な、今後の思索上の分水嶺として、これから副島隆彦と「学問道場」は「道教」に注目していく、ということについても語られます。中国、また日本の民衆の思考・生き方の基盤となってきた思想は、実は「道教」であり、他の学問上で人気のある数々の思想体系は政権支配者たちのためのものである。本当の政治理解のためには道教に注目する必要があるのだ、という決意表明です。この言葉が収められているだけでも、このビデオは副島隆彦の思想と行動を追ってゆく上で、大切な位置を占めることになると私は思います。

このあたりに注目しつつ、日本人の宗教についてさらに考えていかねばと思います。以下参考資料・同じく副島隆彦の学問道場「ふじむら掲示板」よしかわ邦広氏の書き込み(2006.6.22)より転載。

明治時代から戦前までの日本人宗教家の中では、無教会派キリスト教内村鑑三大本教出口王仁三郎生長の家谷口雅春。わたしが読んだり調べた範囲では、この3人が巨人なのだろうと大雑把に見当をつけています。
 出口王仁三郎氏の大本教も、道教の影響を多大に受けています。残念ながら、特にビジネスに結びつく内容として思いうかぶものはないです。ただし、わたしは、大本教の基本経典である「霊界物語」を読んでいません。お筆先の一部を読んだ程度です。ですからビジネスに役立つ文言も、探せばあるかもしれません。