分かりづらい翻訳本の理由

読書の広がりというものは、自分の好きな作家や作品の中から次に読むべき本が紹介されて、それをたどっていくという連鎖で実現することがあります。私が高校生の時、父親の本棚の中にあった北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズを、たまたま手にとって読んで見ました。するとそれが面白くて、次々にシリーズを読むようになりました。その中で、北杜夫トーマス・マンが大のお気に入りだということを知りました。北自身も「楡家の人々」という長編小説を書いているくらいです。(トーマス・マンは「ブッデンブローグ家の人々」を書いている)。

それで私もトーマス・マンを読んでみたのですが、これが私にとっては大変興味を引くもので、トーマス・マンの著作も読むようになりました。特に共感した「トニオ・クレーゲル」については、「読書」欄で紹介しています。http://d.hatena.ne.jp/sakunou/20051102

今度はトーマス・マンの著作の中にショーペンハウアーが出てきて、興味津々で代表作である「意志と表象としての世界」を買ってきたのですが(結構高かったが)、なんとこの本はカントの「純粋理性批判」についての評論であり、まずカントを読んでから・・・、と最初に書いてあったのです。それでさらに「純粋理性批判」を買ってはきたのですが、読み始めからその内容はさっぱり理解できずに、そこで北杜夫から始まった読書の連鎖は断ち切られることになりました。

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

普通の高校生が理解するのには無理な本だったのかも知れません。そういえばこれは余談になりますが、中学生の時に夏休みの読書感想文を書くのに、夏目漱石の「それから」とか「こころ」とか「門」を読んだ記憶があります。教師に推薦されたのかどうだったのか定かではありませんが、今考えるとそんなものを中学生が読んでも分かるわけがないと思うのです。出てくるのは男女の三角関係のような話ばかりで、どうやっても中学生が読む本ではないことは明らかです。

そもそも夏目漱石がイギリスに留学中に、西欧文明とのギャップに苦しみ、ロンドンの下宿に閉じこもって発狂寸前になったと、正岡子規に宛てた手紙に書いてあったそうですが、そのような作者の生きた時代背景や境遇も分からずに、ただ「坊っちゃん」で有名な作家だからということで、漱石の後期の作品を中学生が読むのは無謀といえるでしょう。こういうことは現場の教師が指導するべきです、というか当時の教師は私の感想文に変な顔をしていたような気もしますが・・・。

さて、話をカントに戻します。おそらく難解であろう哲学書は、所詮高校生には無理だったのかも知れませんが、何ともその翻訳である難解な日本語は、何とかならないものかと思っていたのも確かです。その後ニーチェもかじってみましたが、同じ結果でした。

ところが昨日、副島隆彦の学問道場で、副島氏の「今日のぼやき」の最新版
「722」 年頭のご挨拶。日本の近未来を予想して悩み苦しんでいるだけでもつまらないので、今年は、「政治思想の本の、真実読み破り翻訳の技術の弟子たちへの伝授」、「重要な本をどんどん翻訳する」ということに邁進することをお伝えして、会員の賛同を得ようと思います。2006.1.11 副島隆彦
を読んでいると、日本人の翻訳がいかに出鱈目かということが書いてありました。

これまでの政治思想本の日本語への翻訳本の中に、大量に見られる、低劣、誤訳、不正解、意味不明の難解訳文の現状、そしてその大量放置、という現状を、何とかして克服するようことをやろうと思う。
・・・
みんな、岩波文庫の、訳の分からない日本語文で、ジョン・ロックや、ホッブズや、モンテスキューや、スピノザや、ライプニッツや、デイビッド・ヒュームなどの翻訳書を読んだ振りをして、何も分かっていないのだ。
 特に、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』と『実践理性批判』の本の理解が全く出来ていない。へーゲルも、ニーチェも半分ぐらいしか、解読できていない。

という部分を読んでいると、あのときカントを前に、頭にはてなマークをたくさん付けながらしかめっ面をしていた自分の状況がうっすらと蘇ってきて、「カントが理解できなかったのは、半分はバカで若かった自分のせいだが、もう半分は翻訳が悪かったからではないのか」と思ってきました。

副島氏はさらに次のような実例を出して、翻訳の実態を解説しています。

Adam Weishaupt ( founder of the Illuminati in 1776 )
“ Reason will be the only code of man. This is one of our greatest secret . When at last Rreason becomes the religion of man , then will the problem be solved .”

(普通の訳はじめ)
 アダム・ヴァイスハウプト(1776年のイルミナティの創設者)
「理性が人間の唯一の法典となるだろう。このことが私たちのもっとも大きな秘密のひとつである。ついに理性が、人間の宗教となるときに、その時に、問題が解決するだろう」
(終わり)
・・・
副島隆彦です。これで、何を言っているのか、分かりますか。私以外の日本人には、この英文の意味は、意味不明のはずです。 この日本語文を読んで、それから、もう一度英文を読んで、そして、もう一度、日本語訳文を、読んで、そして 「理性が、人間の唯一の法典となるだろう・・・」 と読み直して、それで、意味不明のはずです。 カントを読んでもヒュームを読んでも、こういう感じの日本文がづらづらと続きます。
 日本の明治維新明治元年、開国、文明開化)から、今年で、138年目です。それでも日本人は、すべての文科系の知識階級の人間を含めて、 上記の英文の意味が、分からないでしょう。 私は、30年の刻苦勉励の苦闘に末に、分かるようになりました。この事実を早く、弟子たちに伝授しなければ。
・・・
副島隆彦による訳文を載せる)
 アダム・ヴァイスハウプトは、1776年に秘密結社、イルミナティを創設した。その時の、結成の演説(説教)の中で、イルミナティの組織結成の目標を次のように説いた。
「 われわれイルミナティは、理性(りせい、reason , vernunft フェルヌンフト、)すなわち、利益欲望の思想、金銭崇拝の精神を、われわれ人間にとっての唯一の法典(規則の体系)にするであろう。これこそが、これまで人間(人類)が解明できなかった最大の秘密なのだ。金銭崇拝(利益欲望の精神、すなわち理性)が、人間にとって信じるべき信仰、宗教となる時に、その時に、ついに、われわれ人間が抱えてきた最大かつ唯一の大問題が、解明され、解決されるのである。」
副島隆彦の訳おわり)

引用の前後を省略しているので、分かりづらいかも知れませんが、まずこの英文を翻訳するにあたって、アダム・ヴァイスハウプトという人物と、イルミナティという組織のこと、つまり諸背景が分かっていないと的確な翻訳ができないことを示しています。つまり、自然科学などと違い思想・哲学の分野では、英語だけできても的確な翻訳ができないということです。

さらに、reasonという重要な単語について、日本の辞書に載っているだけの知識では思想を語れないことを次のように述べています。

私は、5年ぐらい前から、reason リーズンとは、 reison レゾン(存在の根拠)と同義であり、さらには、ratio ラチオ、レイシオ 「合理」 と同義である、とずっと説明してきました。ですから、 rationalism ラシオナリズム、ラッショナリズム、「合理主義」とは、「利益の法則」であり、「投下した労力に対してそれに相当する利益を得ることである」である、と解読してきた。 だから、それが、ユダヤ思想(ユダヤ教とも訳す、 Judaism ジュダイズム)の根本の思想だということをずっと、しつこく説明してきた。

私も詳しくは分からないのですが、デモクラシーを「民主主義」と訳したのは大きな間違いのようですし、神を「God」としたのもよく言われる誤訳の例のようです。

こういったことを理解した上で、もう一度カントを読んでみると、当時理解できなかった理由が分かるかも知れません。また、夏目漱石も今読んでみると違った世界が見えてくるでしょう。しかしそれはしばらく先のことになると思います。読むべき本の待ち行列の中、とれる読書の時間は限られていますので・・・。時間のある若いときにあまり本を読まなかった自分の経験からすると、若い人にいかに知的欲求を喚起させることが重要かしみじみと感じます。