訃報! 海洋サイエンティスト河井智康氏が痛ましい事故で他界

今日の昼過ぎ、カーラジオで東京の杉並区で33歳の息子が両親を殺害した上自分も家に火をつけて自殺した、というニュースが流れました。殺された父親は、私の知っている海洋サイエンティスト河井智康氏であると知りびっくりしました。

東京・杉並で3人死亡 両親殺害後に長男焼身自殺?
男女3人が死亡した民家の火災現場=30日午後0時20分、東京都杉並区阿佐谷南

≪被害の父は著名な海洋学者≫
 30日、東京都杉並区阿佐谷南の海洋学者で農学博士、河井智康さん(70)宅が焼け、2階の一室で長男(33)とみられる焼死体が見つかり、別の部屋で河井さんと妻の由美子さん(65)が倒れていた。夫妻は病院で死亡が確認され、胸や背中に刺された跡があった。外部から侵入した形跡はなく、長男とみられる遺体近くにプラスチックタンクがあった。警視庁は家族内のトラブルで長男が両親を殺害後、焼身自殺したとみて、容疑者死亡のまま今後、殺人容疑などで長男を書類送検する。

 杉並署の調べでは、出火は午前11時ごろ。木造2階一室約30平方メートルが焼けた。長男とみられる遺体は2階西側のベッド脇に倒れており、サバイバルナイフと木製バットや溶けかけたプラスチックタンクがあった。遺体にはガソリンをまかれたような跡があった。

 河井さん宅は3人暮らし。夫妻は2階の別の部屋で布団の上に倒れていた。2人は胸や背中を刺され、頭を殴られていた。同日未明から早朝にかけて殺害された可能性が高い。やけどはなく、燃えたのは長男とみられる遺体があった部屋だけだった。

 消防が駆けつけた際、玄関は施錠されていた。同署は外部から何者かが侵入して夫妻を殺害した可能性は低く、長男がバットで殴り、ナイフで刺して殺害したとみて、家庭内にトラブルがなかったか捜査している。長男の遺書は見つかっていない。

 この日、長男が4日前に借りたレンタカーが未返却のため、業者が訪問。若い男性がインターホン越しに応対した直後に爆発音とともに出火した。近くに止めてあったレンタカーからは五つのプラスチックタンクが積まれ、一つにガソリンが入っていたという。

≪エリート長男 就職難≫
 海洋学者の河井さんは東京水産大卒業後、水産庁に就職。同庁研究所で部長を務め、多くの著書を持つ「お魚博士」として知られた。

 大衆魚と呼ばれたイワシも、今では水揚げ量の激減で高値取引される高級魚だが、イワシ漁が史上最大の豊漁だった昭和63年、「イワシと逢えなくなる日」を出版し、すでに現在の魚事情を予測。稚魚を食べるプランクトンの大量発生で、そのとき全盛の魚が減り、別の魚が台頭する独自の「魚種交替論」から導いたものだった。

 「二十一世紀の水産を考える会」を創設。代表理事として国会の食育基本法参考人質疑で陳述したほか、29年にマーシャル群島ビキニ環礁付近で「第五福竜丸」の乗組員が米国の水爆実験で被災した事件に注目し、同群島で実態調査も行うなど、幅広く活動していた。

 河井さん宅はJR阿佐ケ谷駅近くの閑静な住宅街にある。事件は長男との「家庭内トラブル」とみられている。長男はインターナショナルスクールで学び、米西海岸の大学に進学。が、帰国したエリート長男を待っていたのは就職難だった。「由美子さんが『なかなか見つからないんです』とこぼしていた」と近所の男性は証言する。

 長男はアルバイトなどをしていたが、だんだんと自宅に引きこもるようになったとみられる。寒い冬の日も窓を開けて机に向かっていたといい、近所の主婦は「お父さんのように学者を目指して猛勉強していると思っていた。まじめな家族に何があったのか」と話した。

(05/30 22:50)

sankeiwebhttp://www.sankei.co.jp/news/060530/sha067.htmより転載

私が河井氏を知ったのは、脱サラして石川県の農場にいって間もない頃です。当時、農場が経営する自然食レストランで料理を担当していた私は、群馬や東京で暮らしていたときには知ることのなかった新鮮でおいしい魚に出会いました。そんな折、調理場のラジオで河井氏の魚に関する興味深い話を聞き、その後氏の本を読んで、海の生態系や魚の魅力をむさぼるように吸収していきました。

群馬に帰ってきてからも、ことあるごとに河井氏の著作を友人知人に紹介し、その斬新な河井ワールドを共有していく楽しみを経験していました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

河井智康(かわい ともやす 1936年-2006年)は、日本の海洋学者(農学博士)。東京水産大学(現在の東京海洋大学)卒業。東京都出身

経歴
大学卒業後、水産庁に入庁。水産庁東北区水産研究所資源管理部長を務め、1997年に定年退官。魚類の生態や魚類資源の変動をテーマに研究し、「稚魚を食べるプランクトンの大量発生で、そのとき全盛の魚が減り、別の魚が台頭する」という独自の「魚種交替論」を打ち立てるなど、水産学の発展に大きく寄与した。魚に関する著書も多い。特に、イワシが空前の大豊漁であった1988年に上梓した「イワシと逢えなくなる日」で、今日のイワシの減少を予見したことは特筆に価する。21世紀の水産を考える会代表理事などの要職を歴任した。また、1954年にマーシャル群島ビキニ環礁付近で第五福竜丸被爆した事件に注目し、マーシャル群島で実態調査を行うなど、反核主義者・平和主義者としても知られた。「九条の会」賛同者にも名を連ねていた。

主な著書
イワシと逢えなくなる日」(情報センター出版局)
「日本の漁業」(岩波新書
「日本人とさかなの出会い」(角川選書
「大衆魚のふしぎ」(講談社ブルーバックス
「大衆魚の世界」(NHKライブラリー)
「魚−21世紀へのプログラム」(農山漁村文化協会
「海・人・魚の賛歌」(東京美術
「死んだ魚を見ないわけ 1700mの海底に自然の謎を探る」(情報センター出版局)
「核実験は何をもたらすか」(新日本出版社
「漁船 第五福竜丸」(同時代社)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E6%99%BA%E5%BA%B7" より作成

経歴にあるように、河井氏は学者ではなく水産庁の職員として、業務のかたわら少ない予算や研究費の中で、民間学者として研究を重ねてきました。「魚種交替」をはじめとする海洋生態の研究成果の課程には、常に「仮説と実験証明」というサイエンスの手法にこだわり、地道な調査の積み重ねの中から独創的な理論を打ちたる姿は、物語としての氏の著作の大きな魅力でありました。

水産庁を退職した後は、「海洋サイエンティスト」として活躍し、「二十一世紀の水産を考える会」を立ち上げ、食糧や環境問題に取り組んでおられたようです。今後世界の食糧難が予測される中、海洋資源の研究は重要なポジションであり、河井氏の活躍の場がこれから必要になるだろうというときに、このような痛ましい事件で他界されたことは残念でなりません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

死んだ魚を見ないわけ (角川ソフィア文庫)

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