間違っていませんか?「狩猟民族」と「農耕民族」の使用法 その2

sakunou2005-11-13


話を整理していきます。

1.すべての人類は狩猟採集生活だった
現在でも、人類・家畜・ペットなどを除くすべての動物は、自然にある動植物を食糧としており、狩猟採集によって生命を維持しています。食糧生産を開始する以前の人類も、狩猟採集によって生活をしていました。

2.今から約1万年前に食糧生産が始まった
食糧生産が開始された地域として確実にわかっているところが5カ所。それは、①メソポタミア、②中国南東部、③中央アメリカ、④アンデスおよびアマゾン川流域、⑤北アメリカ東部です。特に南北アメリカ大陸は、人類が到達したのが1万年前なので、食糧生産が開始されたのも新しく、紀元前2000〜3000年前くらいです。これらの地域では、独自に食糧生産が開始さたのです。それ以外の地域は、よそから家畜や農作物が持ち込まれた結果、食糧生産が始まったことになります。そのきっかけは、大型哺乳類を捕り尽くしたことと、寒冷化の揺り戻しによる食糧不足だといわれています。

3.食糧の生産が農耕社会を生み、それが広がっていった
食糧生産によって、定住と非生産階級が生まれた結果、効率的な農耕社会ができあがります。ここでさらに高度な発明(車輪や軍馬)を獲得した民族が、発明の遅れた民族を駆逐していきます。スペイン人によるインカ帝国侵略がいい例です。農耕社会への移行が遅かったアメリカ大陸は、車輪もなく馬もいませんでした。

4.特殊な日本の縄文時代
自然が豊かだった日本では、逼迫した農耕社会への移行理由もなく、集落を形成し定住しつつ、狩猟採集を主とする生活形態をとっていました。一部では果樹の栽培や、貝類の養殖が行われ、稲作でさえ始まっていたとする説もあります。つまり、完全な狩猟採集生活でも、完全な農耕生活でもどちらでもない文明社会が、一万年以上も続いたという点が特殊であり、それが日本人の特性を決定した重要な期間であるともいえます。

5.凶暴な民族は誰か
日照時間が短く、牧草しか生えないヨーロッパでは、麦と家畜が重要になります。人間が食べられない草を牛に食わして、その肉や乳を食糧とします。牛のような大型哺乳類を殺す習慣は、野蛮な民族を生んだ要因になっているのでしょうか。いずれにしても、作物の不毛な砂漠や乾燥地帯では、生き残りをかけた激しい生存競争が繰り広げられてきました。ヨーロッパではバイキングをはじめとする殺戮の歴史を繰り返してきました。また、世界史の始まりは、モンゴル帝国の世界侵略から始まっており、ものすごい殺戮が行われました。モンゴルは遊牧民の国です。遊牧とは、家畜の飼育を主とする食糧生産であり、農業の一部です。狩猟採集ではありません。

以上の分析からわかるように、弱肉強食で他民族を侵略・征服してきたのは、高度な農耕社会を発達させた民族であり、凶暴である原因は、大型哺乳類の屠殺の習慣や不毛な土地であったことが考えられます。一方、自然が豊かな土地で暮らしていた狩猟採集を中心とする民族は、穏やかな性格を有しています。後者の代表が縄文人で、今でもその性格や遺伝子を引き継いでいるのが日本人です。

ですから引用として、「日本人=農耕民族」「欧米人=狩猟民族」というのはあきらかに間違いであることがわかったと思います。そもそも狩猟民族という言葉の定義は存在しません。これを読んで納得した方は、今後この間違いを発見したら、指摘して誤った言葉遣いを直して頂きたいと思います。

勉強が足りない知識人は、ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」を読んで認識をあらためるべし。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

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