ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」第2章イースターに黄昏が訪れるとき を読んで その3
前回はイースター島についての概略とたどってきた道の要点を書きましたが、今回は、
この点についてのジャレド氏の考察をまとめてみます。
○9つの物理的要因−森林破壊の激しさが増すのは
- 湿潤な島より乾燥した島
- 赤道付近の温暖な島より高緯度にある寒冷な島
- 新しい火山島より古い火山島
- 火山灰が大気中を降下する島より降下しない島
- 中央アジアの風送ダスト(黄砂)に近い島より遠い島
- マカテア(珊瑚礁が海面からつきだしたもの)のある島よりない島
- 高い島より低い島
- 近隣関係のある島より隔絶した島
- 大きい島より小さい島
○最も重要な要素が、降雨量と緯度のばらつき。植物の成長率と実生の定着率が、降雨量と温度に伴って上がる。ニューギニアの低地のように、湿潤かつ高温な場所であれば、木を切り倒しても一年以内に六㍍の新しい木が生えるが、寒冷で乾燥した荒れ地では木の生長がはるかに遅い。
○イースター島は、緯度は三番目に高く、降雨量は少ない方に属し、火山灰の降下とアジアからの風送ダストは最低で、マカテアは存在せず、近隣の島からの距離は二番目に遠く、海抜が最も低く、もっとも小さな島のひとつに数えられる。なにも島民たちがうわべだけ善良そうで中身は違ったとか、先見性がなかったとかいうことではない。むしろもっとも脆弱な環境の中で、もっとも高い森林破壊のリスクを抱えながら暮らすという悲運を背負った人々だった。
○先住ポリネシア人時代のイースター島は、現在の宇宙における地球のように、太平洋の中で孤立していた。島民には、窮地に陥ったときに逃げる場所もなければ助けを求める相手もいなかった。わたしたち現代の地球人にも、事態の深刻さが増したときに頼っていける先はない。だからこそ、イースター島社会は、わたしたちの前途に立ちはだかりかねないものの暗喩(メタファー)として、最悪のシナリオとして、わたしたちの目に映るのだ。
ここで、昨年の12月26日に紹介したこの本のプロローグの一部を再掲します。
過去の人々は、絶滅や追放に値するほど無知無能な環境の管理者ではなく、かといって、今日のわたしたちにも解決できない問題を見事に解決した全能で良心的な環境保護主義者でもない。わたしたちと同じような人々、わたしたちが直面しているのとおおむね似通った問題と相対してきた人々なのだ。わたしたちの行動の正否を左右するのと似たような条件に、彼らも正否を左右されてきた。もちろん、わたしたちが今対峙させられている状況と過去の人々が置かれた状況の間には違いがあるが、共通点もじゅうぶんに多く、従って過去から学べることも多い。
もし仮に、地球全体がイースター島状態になっていたとすると、この先人類はどのようになってしまうのか。問題は現在の人類社会=地球がどれほどの救いがたい状況になっているかのあるいはそうでないのかの客観的事実の把握だと思います。環境問題について、楽観論・無関心論・悲観論が渦巻く中、われわれの先祖に真摯に学んだ上での客観分析ができているのかどうか疑問になります。つまり、狩猟採集民や崩壊した文明社会の民や発展途上国の人々を、優劣の価値観で見ていないかどうかということが鍵になるのです。私はそれは現代人にはできていないと見ています。私が知る限りにおいてそれを可能にできる男「ジャレド・ダイアモンド」がその解答をどう下すのか。どんな推理小説よりも固唾をのんで読み進めているのが本著です。何しろ自分の子供たちの未来に希望が持てるのかどうかの、一つのしかし有力なジャッジメントが下されるのですから。