ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」下巻読書速報

昨年のクリスマスプレゼントとして、自分のために買った本書ですが、何とか上巻をクリアし、昨日下巻にたどりつきました。その最初の章に、世界の中で環境破壊にいたらず、長年にわたって民族の繁栄を実現した成功例として、日本の江戸時代が揚げられていました。

前作の「銃・病原菌・鉄」では、日本のことはほとんど触れられていなかったので、ジャレド氏は日本についてはそれほど興味もなく、見識もなかったのだろうかと思っていましたが、この下巻の最初の江戸時代の記述を読んで、それが浅はかな間違いであると痛烈に反省すると共に、果たしてこの事実について日本人のどれくらいの人が理解しているのか、と疑問を抱きました。以下その主要部分を引用します。

なぜ日本社会は崩壊しなかったのか?
江戸時代中・後期の日本の成功を解釈する際にありがちな答え−日本人らしい自然への愛、仏教徒としての生命の尊重、あるいは儒教的な価値観−は、早々に退けていいだろう。これらの単純な言葉は、日本人の意識に内在する複雑な現実を正確に表していない上に、江戸時代初期の日本が国の資源を枯渇させるのを防いではくれなかったし、現代の日本が海洋及び他国の資源を枯渇させつつあるのを防いでもくれないのだ。むしろ、答えのひとつは、日本の環境的な強みにある。
・・・
ポリネシアメラネシアのたくましい島々と同様、日本では、降雨量の多さ、降灰量の多さ、黄砂による地力の回復、土壌の若さなどのおかげで、樹木の再生が速い。もうひとつの答えは、日本の社会的な強みに関係がある。そういう日本社会の特徴は、森林の破壊危機の前からすでに存在したので、対応策として生み出される必要がなかった。具体的には、他の社会では多くの土地の森林を荒廃させる原因となった、草や若芽を食べてしまうヤギやヒツジがいなかったこと、戦国時代が終わって騎兵が必要なくなり、江戸時代の初期にウマの数が減ったこと、魚介類が豊富にあったので、タンパク質や肥料の供給源としての森林への圧力が緩和されたことなどが含まれる。日本社会は、ウシやウマを役畜として利用していたが、森林乱伐と森林由来の飼料の不足を受けて家畜の数は減ってしまい、人間の手で鋤や鍬などの道具を使わざるを得なくなった。
解釈の残りの部分をなす一連の要因は、日本の支配層と大衆の両方に、他の多くの国の人々以上に強く、森林保存の長期的な見返りの大きさを認識させるものだった。支配層である徳川幕府の将軍たちは、国内を平定し、敵対勢力を排除することで、内憂外患のない未来を予測できた。彼らは、自分たち徳川家が日本を統治し続けることを期待し、事実それは250年間続いた。つまり、平和、政治的安定、自分たちの将来への根拠ある自信を後ろ盾に、徳川家の将軍たちは、領土の長期的な将来に対して投資を行い、計画を立てる意欲を持った。
・・・
江戸時代の日本は、島国という孤絶した状態、ゼロに等しい外国貿易、外国への領土拡大の断念によって、当然ながら、自国の資源に頼らなければならず、他国の資源を略奪して需要の問題を解決するわけにはいかなかった。同様に、将軍が強いた鎖国という平和によって、国民は隣国の木材を奪取して需要を満たすことはできないと知った。外国の思想が入り込まない安定した社会に暮らしていた日本の権力者と農民たちはどちらも、将来が現実と変わらないこと、現在の資源で将来の問題が解決されることを期待した。

ジャレド氏は最初から、崩壊した社会と成功した社会の民に人類としての能力的違いはないはずであるという確信の元に論理を進めています。つまり、崩壊した文明社会の民が愚かであり、成功持続した社会の民は賢かった、という単純な二元論で人類の複雑な文明は語れないということです。この事実は、その文章を読めばなるほどと納得するものですが、ほとんどの人が意外とそのようには考えていなかったという落とし穴でもあります。

私も幻冬舎の「わしズム」に、日本人の食べ物について書いてきました。その中で、江戸時代までほとんど陸上動物を食べなかった日本人の食の特殊性にも触れましたが、今となってはその確固たる理由について自分の中では特定できてなかったと反省しています。実際日本の中で(正確には九州・四国・本州で)、奈良時代以降陸上動物を食べる習慣が忽然と消えたことは、佐原真氏らの調査で考古学上からも証明はされています。しかしその原因については仏教の伝来によるものではないのか、という程度の理解でした。

アメリカの人類学者であるマーヴィン・ハリス氏の「食と文化の謎」は、宗教などによる食べ物のタブーについて詳しく分析がなされています。

食と文化の謎 (岩波現代文庫)

食と文化の謎 (岩波現代文庫)

それによると、多くの場合、宗教による食べ物のタブーは、本来その民族や社会にとって生存に脅威を及ぼしたりする一次的要因が最初にあり、それを習慣化させるために宗教によって規定されている、とされています。つまり、宗教による食物のタブーはあくまでも手段であるということです。このハリス氏の著作には、たしか日本の食については触れていなかったと記憶しており、私も日本人の食の特徴の原因まで頭が回っていませんでした。

ですからジャレド氏の「文明崩壊」下巻の江戸時代の記述に対しては、食べ物について研究している私の立場からも気付かされる要素があり、日本人であるにもかかわらずそのことについて考えが及ばなかった点について、大変勉強になる部分でした。同時にジャレド氏の前作「銃・病原菌・鉄」で受けた感銘を、さらに上回る内容で書かれた今回の新作は、知的好奇心を抑えることのできない大作であると感じています。前作同様、この本の価値が分かるまでには、あと数回読み返すことになると思います。未だ最初の読書の途中ではありますが・・・。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)