近代(モダン)とは何か? その2
3.空気としての日本的民主主義
小室直樹氏は、日本的な民主主義について「つまり民主主義であるかないかの識別条件として、日本人は相手の気持ちを察して相手が怒らないようにするというのが民主主義であると思っちゃってるが、ある意味ではこれほど非民主的なことはありませんね」と述べています。
山本七平氏は、このような日本の民主主義の原点として、鎌倉時代の傘連判(からかされんぱん)を例に説明しています。傘連判とは連判状であるが代表者がいなく、送別会などで色紙に書く寄せ書きのように、中心の円の周りにぐるりと署名がしてあるものです。このような代表者も責任の所在も不明瞭な合議制が、日本の民主主義の特徴であり、それは今でも日本の社会を形成している要素です。
考えようによってはこれほど民主的なことはないともいえますが、世界の基準で計れば異常な民主主義といえるでしょう。近代資本主義の成立要件は、
- 勤労のエトスの成立
- 交換の規範化
- 共同体の崩壊
- 契約という考え方の成立
といわれており、責任者なき民主主義では契約が成立しません。それでも日本は特殊な資本主義としての近代を生んだわけですが、その要件については言及を避けます。それで、責任者なき意志決定がどうやって可能なのかということが疑問点になってきます。おそらくそこが外国人から見た日本のもっとも理解できない中心部分だと思います。
我々日本人の感覚として、上記で小室氏が述べている「相手が怒らないようにする」という心情は、多くの日本人が経験し理解するものだと思います。元来「和を持って尊しとする」国民であるわたしたちは、争いごとを避けるためには相手が怒らないようにすることを、知らず知らずのうちに習慣としています。では、何を持って「相手を怒らせない」ことを判断しているのでしょうか。つまり「これを言ったら相手は怒るだろう」とか、「こういう風にいえば相手は怒らないだろう」ということはどうやって判断しているのか、ということです。
分かるようで分からないと思いませんか。仮にこれが経験で学んでいくものであれば、若い人や未熟な人ほど他人を怒らせる回数が多くなるはずですが、そうなっているとはとても考えられません。この「怒らせないように」ということだけにかかわらず、日本人独特の行動様式の源泉を、日本にも厳然とした「日本教」という宗教があり、そのドグマ(教義)が「空気」である、ということを発見したのが山本七平氏です。
相手を怒らせないようにすることも、根本は言葉を選んでいるのではありません。同じ言葉でも人によってとらえ方が違います。そこでは空気を読んでいるのです。日本人は空気によって大きく支配されているので、極端に振れやすいのです。ある時は国内の空気で「一億総玉砕」と信じて疑わなかったのに、あっという間に「マッカーサー様ありがとう」となってしまうのです。それはとにもかくにも、我々の思想や考え方が「空気」というドグマに支配されているからです。
つまりは、キリスト教やイスラム教のような聖典宗教ではなく、そもそも日本教という宗教があるということさえ意識していない状況では、空気に支配されているという感覚すらないので、簡単に思考が振れてしまうわけです。また、この空気には「水を差す」ことによって、その熱狂を一気にさますことができるという特徴があります。
こうして「日本教の空気」という概念を元に考えていくと、日本人社会の出来事がよく見えてきますし、自分の行動様式も客観的に観察できます。ただしこのことが、「近代(モダン)」という問題とどうリンクして行くのかということについては、まだ整理がついてない段階です。
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