近代(モダン)とは何か?

「日本には真の民主主義はない」という話はよく聞きますが、何を持ってそう断じているのか、と改めて考えると、今ひとつ分からないのがこの「民主主義」の問題です。よく言われるのは、日本は無血革命(明治維新)や敗戦によるGHQに作ってもらった憲法などを根拠に、「市民が自ら勝ち取っていないから真の民主主義ではないのだ」という論理です。

勝ち取ったもの(与えられたもの)、つまり民主主義のシンボルとしてそれは「参政権」であり、議会制民主主義という政体を指すのは理解できます。では、平等な参政権と議会制度を体現している国家が民主国家なのであれば、日本は胸を張ってそういえるはずですが、常にそこに後ろめたさのようなものを感じながら「真の民主主義はない」と繰り返しているのはどういうことなのでしょうか。

先にひとつ「民主主義」という言葉について述べておきます。副島隆彦氏の「今日のぼやき」2006.1.11 からの引用です。

たとえば、碩学福澤諭吉は、彼の大著『文明論の概略』を読むと、デモクラシー democracy を「民衆交際」と訳している。
素晴らしい訳語です。エコノミーの「経済」も福澤諭吉が開発した訳語だ。デモクラシーを、「民主主義」などど愚劣な訳語にした、井上哲治郎、箕作(みつくり)リンショウや、西周(にしあまね)のような愚鈍な明治初期の洋学者たちの責任は大きい。

このデモクラシーの訳としての「民主主義」という言葉自体がすでに誤りであるということですが、このあたりの解釈が私には今ひとつ分からないのです。また、「市民革命を起こしていないから真の民主主義ではない」といわれても、同じような政治体制を取っていながらそこの違いは何なのか。

言論の府である議会において、日本人はそもそも議論が下手な民族であるというのは理解できます。しかし、それはうまい下手の問題で、根本的な政体の問題ではないような気もします。

分からないままに話を進めますが、そうすると次に考えるのは民主主義=近代国家と仮定したときに、「近代」とは何なのか、ということになります。ここでも「日本は未だ近代ではない」という理論があります。これに関しては、これまで読んだ本などの中から、実証的な例を示していきたいと思います。

1.手紙の書き方
これは副島氏がよく指摘していることです。日本人は手紙の最後に日付や署名をする習慣があります。これに対して氏は「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」で次のように述べています。

自分が書いた文章や小論文には、かならず冒頭に日付を付けなさい。これが出来ないと近代人(モダンマン)ではない。それから、手紙であれば誰から誰に宛てたものであるかも、冒頭で日付けと共に常に明示しなさい。日本人は、ほとんどの人が、まだ今でもこれが出来ない。

日本では昔から手紙の書き方は、宛名と差出人、日付は、手紙(書簡)の一番最後に書くことに決まっている、というのは劣等文化の側からする言い訳だ。それを、私、副島隆彦に向かって、
お前は日本の美しい文章文化を否定するのか、私は、従来どおり、文末に、日付、宛名、差出人を書く、と言論戦を挑める者がいるはずかない。 

日本人の美しい衣装文化であったはずの、寝間着(ねまき)の着物も、寝ている間にぐちゃぐちゃにはだけるから、みんな、それで捨ててしまって、今は全員がパジャマだろう。ホテルの浴衣以外は。

日本人は、みんな、日頃、「あれ。この手紙(メール)は、誰から来たのかなあ」と文末まで行って、「ああ、この人からか」という、行ったり来たりの、どっこいしょ、どっこいしょの苦労をしている。そういう馬鹿な国民文化も背負っているのである。

欧米の学術論文の書き方も、本来は、自分のパトロン(生活資金提供者)宛の、「○○公爵殿 私は、いついつ、以下の発見をしました、あるいは理論(セオリー)を作りましたので、ご報告します。」という手紙である。ニュートンライプニッツも、デカルトのような人たちもそのように書いている。

更には、欧米の商業手形や小切手でも、「誰だれ様宛に、いついつまでに、金額いくらを、だれそれが、お支払いいたします」あるいは、「誰だれに、お支払いください」という、手紙の形式になっているのだ。それが、「裏書き」という信用継続の形式で、転々譲渡(てんてんじょうと)するのである。

これは分かりやすい指摘だと思います。日本でも横書きに書く会社の文書や会議の案内等は左上に相手の名前や肩書きを書いて、真ん中にタイトル、右上に日付や差出人の情報を書きます。しかし、手紙の最後に自分の名前などを書く習慣も残っていますが、これは話の道筋(論理)的にはおかしなことです。

2.性に関する感覚や習俗
日本でも、明治以降しばらくは女性に参政権がなかった時期があり、それが解消されて「近代」に近づいているという、男女平等がひとつのバロメーターになってはいるでしょうが、さらに女性の社会進出だとか、さらに人権の問題に絡んでくると、はたして近代を語る上での要素なのか分からなくなってきますが、それ以前の状況としてこれも副島氏の文献(確か「属国日本論」だったと記憶していますが)からそれに関する部分を紹介します。

江戸時代、ペリーの来航以来不平等条約を押しつけられていた日本(幕府)が、その撤廃を懇願した折に次のように返されたということです。
「お前の国は公衆浴場に男と女が一緒になって入っているではないか。そんな未開の国と平等な条約が結べるものか」
確かに江戸時代、日本の銭湯は男女混浴であったと聞いたことがあります。こういう風に返されてしまうと、論理的根拠を問う以前にぐうの音も出ないと感じてしまうでしょう。

<つづく>