日本人の宗教観と靖国神社 その3

いわゆる「靖国問題」とはいつから始まったのか2


前回書いたように、中韓はいわゆるA級戦犯が合祀された後でも、全く靖国には関心を示さず、当然抗議も行っていませんでした。だいたい、日本古来の習慣に由来している民俗信仰に、他国が興味を示すこと自体、ストーカーのようなものです。ヤスクニなんて中韓の民衆は全く知らなかったでしょうし、今でもわかっていないでしょう。
まして、中国共産党のような無宗教を唱える政府が、他国の宗教施設や行事に関心を払うこと自体おかしな事です。「奴らは未だに宗教などというものを信じている未開の民族だ」と放っておけばいいはずではないですか。

では問題はどこから始まったのか。小林よしのり著「靖国論」から引用します。

問題は戦後40周年の昭和60(1985)年8月15日中曽根10回目の参拝だった。
中曽根は、「戦後政治の総決算」の一環として、「靖国神社公式参拝」を実現すると大々的にぶち上げ、懇談会で法学者などに討議させた。
その結果は「首相の参拝は合憲」。当然である。
(中略)
朝日新聞など左翼マスコミは「反靖国」「参拝反対」の大キャンペーンを展開。すると中曽根は姑息にも左翼に媚び「宗教色を排除した参拝をする」と言い始めた。「二礼・二拍手・一礼」の神道の拝礼すらせず、「一礼」だけにするというのだ。
(中略)
朝日新聞は7月末から騒ぎだし、8月7日には「中国が厳しい視線で凝視している」と書いた。毎度おなじみ「ご注進報道」である。朝日の「中国の反発が予想される」という記事は、中国さま、反発してくだせえ」という意味なのだ。
期待に応えて中国「人民日報」が8月10日付で、不快感を表明。さらにそれを朝日が輸入して騒ぐ。このキャッチボールを繰り返し・・・8月14日には中国外務省が初めて公式に参拝反対を声明!
毎度のことだが、日本の左翼が火のないところに火種を落とし、油を注ぎ続け、大火事にしたのだ。靖国参拝を国際問題にでっち上げたのは朝日新聞であるという事実。このことを我々は忘れてはならない。中国はそれを外交カードに利用しただけである。

中曽根元首相は、かつて原爆後遺症に苦しむ人たちを病院に慰問した際に、「病は気から」などと軽はずみな発言をして不評を買っています。靖国参拝に関しても、「戦後政治の総決算」などと大言壮語して公式参拝をぶち上げたくせに、騒ぎに屈してあえなく参拝を取りやめる軽率な行動をとり、その後首相が靖国参拝をできない事態を招いています。さらにその言い訳として、平成13年の「正論」誌に「親友である胡耀邦氏を守るために参拝をやめた」などと、中国の要人のために日本の魂を売ったことを暴露しています。

平成13年8月の朝日新聞には、「首相の公式参拝は、戦後56年経っても癒えない中国・韓国の人々の心の傷を逆なですることになる」とありますが、元々なかった傷をでっち上げたのが朝日新聞であることを物語っています。

次の戦時中の朝日新聞の記事はその体質をよく表しています。(金ドン掲示板より)

昭和十七年五月十日朝日新聞社
内鮮一如の徴兵実施

朝鮮同胞に対する徴兵制度の採用は、近年現地の要望となっていたが、八日の閣議はいよいよ明後十九年度よりこれを実施し得るよう準備を進めることに決定した。

内鮮関係が遠く神代以来不可分であったことはしばらくおくとするも、三十二年前の合邦この方、文字通り一体不可分となり、時に消長なきにしもあらずとはいえ、この十年来、満州、支邦の両事変を経て、わが国威の著しく大陸に発揚せられ行くにつれ、半島同胞の協力また日とともに緊密化しつつあるは、また○するまでもない所である。既に去る十三年四月以来、陸軍特別志願兵制度が行われているのも、かかる現地における赤誠の認められた結果に他ならないが、その後累年志願兵の数を加え、今年の如きは実に二十五万以上の多数志願者中より約三千名の志願兵が採用せられたような有様である。しかもそれ等将卒の成績は概ね良好であり、戦死して殊勲甲を樹てたるものあるはもちろん、生存して殊勲甲の恩賞に輝く勇士も現れて居り、加ふるに半島銃後一般の大戦完遂に対する熱意また特筆すべきものがある。かくて○に半島徴兵制の実施方針が確立せられたのも当然の順序というべきであろう。吾人はこの制度の採用によって内鮮一体の実のますます挙がらんことを期待するものである。


昭和十七年五月十五日朝日新聞
”今こそ真に日本人” 朝鮮の徴兵制に血書の感謝状

半島青年も昭和十九年から晴れて皇軍兵士の栄誉が適えるように準備をすすめている旨九日情報局から発表されたが、この光栄に勇躍した朝鮮同胞からは早くも感謝の心を綴った手紙が、谷情報局総裁や井野拓相のもとに届けられ、中には血書したものもある、その二、三---

(その一)ただただ感謝します、何十万の半島青年のすべてが受けたであろうこの感激は、一体いかなる言葉でいい表わしたら良いか分りません、”兵役は?”と問われ”ない”と答える苦しさ、内地の人の中には”時期が早い”と思う人があるかも知れませんが、自分に問い、友に問いしても決して遅くこそあれ早くはありません、自分が運よく戦死したら靖国神社に行ける、この気持こそ半島青年の気持、必ずや自分もお呼び出し願えるものと固く信じその日を待侘びています
半島の一青年
情報局御中
(これには”感謝”と書いた血書が同封されていた)

(その二)
われわれ朝鮮人の一人一人が帝国の防人として内地人と同様大東亜戦争に参加してこそ真の内鮮一体といえましょう、ああこの日本帝国に生れ合わした幸運、朝鮮人も祖国日本のため米英撃滅に参加出来る喜びをお察し下さい、今こそ靖国の英霊の仇を討って見せます、天皇陛下万歳大日本帝国万歳
松本元治郎
情報局総裁閣下

また、朝日のご注進に便乗する中国の体質について、櫻井よしこさんがブログで次のように論じています。

中韓両国の日本に対する一方的といってもよい姿勢を見ると、最近のある体験を思い出す。雑誌「文藝春秋」の対談で北京を訪れたときのことだ。日中双方から2人ずつ出席して、私たちは歴史問題と現在の両国間の摩擦について語り合った。5時間の激論の模様は同誌に詳しいので、興味のある方は同誌8月号を見ていただきたい。

だが、文春の文脈からはよくわからないかもしれないのが、中国側の一方的な姿勢である。歴史認識は共有できなくても、史実の共有は知的に可能なはずだと考え、対談で事実関係をいくつか質した。たとえば、中国の教科書ではなぜ、朝鮮戦争米帝国主義が始めたと教えているのか、日中戦争の死者の数がなぜ、終戦直後の320万人という主張が570万人になり、2,168万人になり、ついに3,500万人と無制限に増えていきつつあるのか、などである。

この種の事実が指摘されると、日本人ならとにかく一所懸命に説明し答えようとする。ところが、中国人はいっさい答えない。都合の悪いことは無視して、新たな日本批判の論点に移ろうとする。二度三度と同じ問いを投げかけたところ、彼らはようやく言った。朝鮮戦争はこれからの研究の成果を待つべきだと。犠牲者の数は「被害者の気持ちを考慮」した数字だと。

こうした主張を赤面せずに展開し、日本の反省が足りないと、彼らは結論づけるのだ。自国の価値観と主張しか認めないというに等しい。その姿勢は、6ヵ国協議で北朝鮮の核廃棄を実現させるために日本の立場は無視してもよいのだとする姿勢と重なる。だが、核開発を行ってきた北朝鮮をこれまで支えてきたのは、ほかならぬ中韓両国である。中韓両国の批判にめげず、日本が拉致問題を提起し続けることが重要である。