日本人の宗教観と靖国神社 その2

いわゆる「靖国問題」とはいつから始まったのか

フリー百科事典『ウィキペディア』では次のような定義になっています。

靖国神社問題(やすくにじんじゃもんだい)とは、靖国神社と日本政府の関わりや、内閣総理大臣国務大臣靖国神社に参拝する事が政教分離および戦争責任の認識に関わるとされる議論、戦犯などの合祀についての異論や訴訟など、靖国神社に関連する諸問題をまとめたものである。

概要
靖国神社は、戊辰戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの日本人、台湾人、韓国人(当時台湾・韓国は日本に併合されていたので、すべて「日本人」であるが *筆者注釈)の戦死者や「日本の国家のために殉じた人々」が「護国の英霊」として祀られており、戦死者の遺族をはじめ様々な人々が参拝する。
「国のために尽くした先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見がある一方で、政教分離・近隣諸国への配慮から政治家・行政官の参拝を問題視する意見もあり、議論が起きている。終戦記念日である8月15日の参拝は第二次世界大戦戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。
戦後昭和天皇は数年おきに参拝していたが、1975年の参拝以来天皇自らの参拝は途絶えた。日本各地の護国神社への参拝は行われている。
一方、首相の参拝については第二次世界大戦中に旧日本軍によって被害を蒙ったとされる国、中華人民共和国大韓民国朝鮮民主主義人民共和国の3カ国とは外交上の問題にもなっている。また先住民族が「高砂義勇隊」として徴兵され戦死者を出した中華民国(台湾)にも一部で批判があり、係争中である。

最近は小泉首相靖国参拝を巡って、A級戦犯がどうのとかで、中韓や国内の政治家・メディアが騒いでいます。
A級戦犯というものの解釈や理解も大きな論点ですが、これにについては次の機会に述べます。今回は、この靖国神社がいつから問題になったのかを知ることで、論争の神髄に迫りたいと思います。

終戦後、昭和26(1951)年10月、サンフランシスコ講和条約の調印の翌月に、吉田茂首相が秋の例大祭靖国神社に参拝しています。このことについて、小林よしのり著「靖国論」では次のように述べられています。

GHQ靖国神社を国と徹底的に切り離し、単なる「一宗教法人」とした。占領下では首相の参拝は許されず、このときもまだ条約は発効前で占領下だったが、吉田は一刻も早く英霊に条約調印の奉告がしたかったのだろう。当時の朝日新聞は次のように伝えた。
靖国神社、秋の例大祭第一日の一八日夕、吉田首相が参拝した。境内のかがり火が夜参りの人の顔に照り映える午後五時一五分、首相は麻生太賀吉氏をお供に社務所の玄関に車を止め、昇殿参拝した。昭和二〇年一〇月二三日、時の幣原首相が参拝して以来、首相が公の資格で参拝したのは、六年ぶりであった。」
「公の参拝」・・・「公式参拝」である。当時の朝日新聞は全く咎めていない。そもそも「公式」だ「私的」だと問題にする感覚自体がなかったのだ!
靖国神社を国から切り離したのは、単にGHQの都合。靖国は英霊の居る公的な場所で、首相が公式に参拝するのは当然。当時の日本人は誰もがみなそう思っていた。
このとき、主要閣僚、衆参両院の正副議長も参拝したが、GHQは注文や苦情も出さず、一般の参拝も、例大祭の二日間で35万人を数えた。
吉田茂は首相在任中5回参拝。以下岸信介2回、池田勇人4回、佐藤栄作11回、田中角栄は5回、「公人」として参拝している。
(中略)
歴代総理は、春秋の例大祭などにほぼ毎年、ごく当たり前に公式参拝しており、それに中国や韓国が反発することなど一切なかった!

ただ、現在問題のきっかけとなっているいわゆる「A級戦犯(14名)」が、いつ靖国神社に合祀(幾柱かの神・霊を一つの神社に一緒にして祭ること)されたのかというと、これは昭和53(1978)年です。この合祀の経緯については、「靖国論」にも詳細は載っていないので、現在独自に調べているところです。
ここで重要になるのは、この合祀の後の状況です。再び「靖国論」から引用します。

合祀の後も、大平正芳が3回、鈴木善幸が8回、中曽根康弘が9回参拝したが、中国・韓国は全く騒いでいない!

この時点でも、中韓は関心を示しておらず、特に問題ではなかったということです。そのあたりの状況を『ウィキペディア』から見てみます。

1964年、社会党佐々木更三委員長が毛沢東国家主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ、「何も申し訳なく思うことはありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではありませんか。皆さん、皇軍の力無しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」と発言したり、1978年のA級戦犯合祀時点での諸外国からの抗議も皆無だったなど比較的穏健な態度を保っていた・・・

<つづく>