水たまり

私が小さい頃には、あちこちに「水たまり」があったように記憶しています。
「水たまり」という定義は特にないと思いますが、私が言っているのは雨上がりの後の校庭や庭にできる小さな水のたまり場です。

私が小学生の頃、家の前の道路はまだ舗装されておらず、砂利や砕石が敷かれていたいわゆる「がたがた道」でしが、その道は頻繁に整備されるわけでもなく、車や人の往来で「でこぼこ」ができ、雨が降るとくぼみに水がたまっていました。そこに車が通るとはねが飛び、道沿いの家のブロック塀には泥の飛び後がこびりついていたものでした。

子供にとってこの「水たまり」は何とも魅力のある場でありました。この小さな水たまりの何が子供の心を引きつけるのか、心理的なことは分かりませんが、下校途中や遊びに行った先でこの魅力的な場を見つけると、運動靴であろうが長靴であろうがそこに突入していくのが子供の本能であるといえます。水たまりがあちこちにあった環境の中で、私もその中で何度も戯れていたことを思い出します。

特に私が覚えている水たまりにまつわるエピソードに次のような出来事がありました。

ある雨上がりの午後、近所の空き地に子供用のサッカーボールを持って遊びに行くと、近くに住む悪ガキが二人して水たまりにしょんべんをしていました。彼らは私の持ってきたボールを「貸してくれ」と言いましたが、私はそのしょんべん入りの水たまりにボールを落とされると察して「イヤだ」と言いました。しかし彼らはしつこく「絶対に水たまりには入れないから」と言ったので渋々ボールを渡しました。しかし、ボールを受け取るやいなや彼らはそれをしょんべん入りの水たまりにたたき込んで、ゲラゲラとはやしたてながら逃げていきました。

その行為に激怒した私は、とっさに足下にあった石を拾い、逃げ去っていく奴らにめがけて投げつけたところ、見事にそれが主犯格の悪ガキに命中し、奴は泣きべそをかいて帰っていきました。

今では、道路もほとんど舗装され、庭にも芝生が植えられたり石が敷かれたりして、身近に水たまりを見ることが少なくなったように感じています。学校の校庭も整備されて、私が通っていた頃のようにあちこちに水たまりがあるような状況ではなくなってきています。

私が住んでいる家の敷地内でも、家主であるばあさんが芝を植え砂利を敷き、水たまりができないように管理していたのですが、私が仕事で車を乗り入れするなどが原因で、このところの雨と相まって水たまりができてしまいました。そしてそこに私の息子たちが突入して、家の外壁に泥水を飛ばして汚すなど、「悪さ」をすることから、ばあさんには「早く砂利を買ってきて水たまりを埋めてくれ」と言われています。

忙しさにかまけてその要求を先送りにしている中、今日も保育園から帰ってきた次男が早速水たまりを見つけ入っていきました。「早く砂利を買ってきて埋めなければ」と思う反面、少なくなってしまった水たまりに子供が欲するまま遊ばせてやりたい、という複雑な思いに駆られている状況です。