元旦に「暦」を考える

あけましておめでとうございます。今年も「学問と実践」をよろしくお願いします。
今日は元旦、1月1日。西暦2006年、日本では平成18年の最初の一日ということになりますが、なぜ今日が1月1日なのでしょうか。一年は、地球の公転周期365.241987日が元になっていますから、今地球が公転周期のどこにいるのかというのが日付の基本になります。しかし、その始まりをどこにするかというのは任意に決めることができるわけです。(公転にスタートラインやゴールラインはありませんから)。

しかしその中には4つのポイント(点)があります。それは、昼と夜の長さが同じになる春分秋分の日、昼夜の長さがそれぞれ最大最小になる夏至冬至です。

古代ローマ帝国では、もともとユダヤ教徒が使っていた「太陰太陽暦」を使用していましたが、紀元前46年にエジプトの「太陽暦」に改暦しました。それまでローマでは、現在の3月にあたる月を年の初め、つまり1月にしていたのですが、この改暦にあたってそれより2ヶ月前の月を1月にあらためました。その名残で、7を表すセプテンバーが9月になっていたりするのです。

ではなぜ今の1月1日を1月1日としたのか、その根拠については見つかりませんでした。ただローマでは、皇帝が自分の名前を月の名前として命名したり(例えば8月はオクタヴィアヌスアウグストゥスが戦勝を祝って自分の名前を付けた)と人為的に行われています。このように1月1日も政治的に決められたという説もあり、1月1日が1月1日たる意味は無いに等しいのです。

明治5年まで日本で使われていたのは「太陰太陽暦」です。現在では「旧暦」というおかしな名称で呼ばれていますが、この暦の詳細も、もはや知る人が少ない状況でしょう。まず、単純な誤解として「旧暦」は、「太陰暦」と勘違いしている人がいると思います。太陰暦は、単純に月の満ち欠けからのみ導き出した暦で、現在太陰暦を使用しているのはイスラム教徒です。イスラム暦が発生した中東では、季節の変わり目というのはあまりなく意識することがないのか、月の公転周期である29.53日を一ヶ月としています。これは太陽暦から比べると毎年11日ずれていくので、33年たつと一年の誤差が生まれます。つまり、日本で今日生まれた人と、イスラム圏で今日生まれた人では、33年後の年齢が違っており、イスラムの人は34才になっているということです。

このような太陰暦を日本は使っていたわけではなく、もともと中国から伝わってきたものをたびたび改良していき、天保13年(1842年)、天文学的に世界でもっとも正確な太陰太陽暦である「天保暦」が日本で完成しました。これがいわゆる旧暦というものです。

話をはしょりますが、太陰太陽暦では、1月1日の決め方があります。それは、元になる陰陽五行説という理論があります。説明が大変なので詳細は別途としますが、東アジア地域の四季というものを陰陽五行説で分析した結果、すべての命の活動が始まる「春」の初日を1月1日としているのです。ですから旧暦では、元日にお祝いをすることに大きな意味があり、それ故「新春のお慶び申し上げます」と挨拶をするのです。

当然のことながら、太陰太陽暦では毎月の一日は「新月」で一五日が「満月」となり、「月」というものをきっちりと暦で表現しています。これ以外にも季節の大きな意味が暦の中にあり、このようなアジアに発祥し、日本の歴史と風土の中で改良を重ね培われてきた暦を、あっさりと捨てて改暦してしまうことに、私は大きな違和感を覚えます。

日本も中国のように、いわゆる「旧正月」を盛大に祝うべきであり、一国二暦制度にするべきだと考えます。つまり旧暦である太陰太陽暦を国民の中に復活させるということです。このような運動をすでに行っている団体があります。建築家の松村賢治氏が主催する(社)大阪南太平洋協会です。私もこちらで発行している「旧暦カレンダー」を購入して使用しています。

皆さんもぜひ太陰太陽暦を使用して、いにしえの日本人の感性に再会して下さい。
ちなみに今日は、旧暦ではまだ12月2日、師走に入ったばかりです。

旧暦と暮らす―スローライフの知恵ごよみ

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