町田の事件について一言だけ

世間をにぎわせた事件で、あちこちで論じられているものに対して、「コメントはしたくない」というのが私の基本的なスタンスなのですが、思うところがあって、少しだけ言及したいと思います。

今回と類似性のある事件として、私が思い出すものがありました。もう20年近く前だと思いますが、ある高校の事務職員が、同じ職場の女性を撲殺した事件です。私が覚えている限り、それは次のような状況でした。

加害者が密かに思いを寄せていた同僚の女性に対し、うまくコミュニケーションをとることができなかった結果、その女性から「気持ち悪い」と思われてしまった。ある時、仕事場でその女性と2人きりになったとき、募る思いを伝えようとしたのだが、拒絶されて逆上し、近くにあった花瓶か何かで思わず殺してしまった。
私も異性に対してのコミュニケーションが苦手な人間なので、思いが伝わらないもどかしさと、異性に拒絶されたときに「かっとなる」気持ちというのは、経験上理解しています。「復縁を迫った男性が、それを拒絶した女性を殺してしまった」という事件は結構多いように感じていますが、そこに共通する動機があると考えます。私はその、相手を殺してしまうまでのエネルギーの元というのが「リビドー」というものであると理解しています。

リビドー
日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられることがままある。これは「性的衝動を発動させる力」とするフロイトによる解釈から継承したものである。一方で、ユングは、すべての本能のエネルギーの本体のことととらえた。師弟関係にあった二人が決別した原因は、リビドーの解釈の違いが大きいといわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%BCより引用

人間の行動のもとになる性的欲望といわれるリビドーは、単純に性欲というものとの違いが分かりづらいのですが、私の考えでは、それ以外の欲望(金銭欲、物欲、出世欲)と比べると、はるかに大きなエネルギーをもっているということです。ですから、その性欲としての異性に対する好意が思うように伝わらないとき、行き場のない性的エネルギーの蓄積は、時に相手を殺してしまうくらい大きなものになってしまうのです。

20年ほど前にフロイトを読んで、このような精神分析に敏感になっていた私は、上記の高校職員の事件を知ったとき、衝撃を覚えました。それは、「いつか自分が起こしてしまうかもしれない」という恐れであったのかもしれません。その時に書いたのが次の詩です。

悲しき高校職員〜抑圧されたリビドーの彼方〜


僕は君のことが本当に好きだった
僕は君を殺すつもりなんかじゃなかった・・・


抑圧された愛の向こうに血しぶき
踏みつけられた心に涙も枯れて


 目の前にいる君は輝き
 いつか少年の心で愛し始めて
 だけど知らないところへ*****なくなって
 言葉も出なくなってた


抑圧された愛の向こうに血しぶき
踏みつけられた心に涙も枯れて


 誰も知らなかったろう
 この薄いコミュニケーションの中じゃ
 君も知らなかったろう
 この若すぎたバカすぎた心の中を


 君が他の誰かと笑うのは許せない
 もう我慢出来ない
 鈍器のようなもので
 love you love you love you


抑圧された愛の向こうに血しぶき
踏みつけられた心に涙も枯れて

(*****部分は忘れてしまった)

さて、今回の町田の事件は、リビドーのエネルギーによるものだと想像はつきますが、現実として拒絶されたわけでもないのに、妄想をふくらませて殺害に及んでしまった点について理解に苦しみます。しかし、バーチャルな精神構造というものは、若者の中に進行していて、その突出したケースが一部事件として浮上しているのが、現在の社会状況なのだと思います。

もちろん今回の事件をきっかけに、「悲しき高校生」などという詩を書くつもりはありませんが、これまでにない人間の精神状態とそれがもたらす社会状況を、何らかの納得出来るテーゼをもって探していかなければならないという、荒野に立たされている思いでいます。