おばあちゃんの必要性

まず9/28に判決が出た東京高裁の裁判結果を貼り付けます。

石原都知事「ババァ」発言、2審も原告女性側が敗訴 (読売新聞)
 東京都の石原慎太郎知事が「週刊女性」のインタビュー記事で「文明がもたらした最も悪(あ)しき有害なものはババァ」と発言したことについて、都内の女性113人が石原知事に一人当たり11万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。
 石川善則裁判長は「原告個人の生き方を制約するものではなく、権利を侵害していない」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持、原告の控訴を棄却した。

どうもこのニュースは、大手では読売以外は報道していなかったようで、私も後から知りました。報道では「ババァ発言」というように、面白おかしく書かれていますが、元々この問題発言とは、次のようなものでした。

「ババァ」発言

 石原都知事は週刊『女性』二〇〇一年一一月六日号で次のように語っている。

「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典(たかふみ)がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。」
検証・石原都政

これを読めばわかるとおり、この「東大教授・松井孝典氏」の引用として石原氏が紹介している発言の主旨は、「多くの動物は死ぬまで繁殖を続けるが、人間の女性だけは、閉経後も長く生きる」という事実に対して、その解釈を述べているものです。ですから、問題にするべきことは、閉経後も長く生きる人間の女性の生存意義の解釈に対する是非のはずなのですが、挑発に乗せられた女性団体?が、「名誉を傷つけられた」として、131人の原告一人当たり11万円の「損害賠償」を求めました。そして、それが認めてもらえず、控訴が棄却されました。

どちらもあまりにもレベルが低い話なので、少し学問的に考えてみたいと思います。まず、閉経とは次のようなことです。

閉経

閉経時期(更年期)を迎えると、女性の体はホルモン分泌が変わり、月経は不規則になり、やがて停止する。多くの場合、40〜50歳で閉経する。それより早く、35〜40歳で閉経する場合を早発閉経、55歳以上の場合を晩発閉経と呼ぶ。
閉経をはさむ前後5年ほどの時期を「更年期」と呼ぶ。 月経停止以外に、色々な自覚症状をおぼえる女性もいる(更年期症状)。

そして、閉経後も長生きする人間の女性の意義については、「おばあちゃん仮説」という考え方があるようです。ただし提唱者は特定されていないようなので、ここは、私が師と仰ぐジャレド・ダイアモンド先生の著作から論じていきたいと思います。

セックスはなぜ楽しいか (サイエンス・マスターズ)

セックスはなぜ楽しいか (サイエンス・マスターズ)

より引用
(ちょっと衝撃的なタイトルと表紙ですが、れっきとした学問書です。)

ヒトの女性の閉経の進化的な根拠を理論化するには、より少ない赤ん坊を生むという一見逆効果の女性の戦略が、実はより多くの赤ん坊を残す結果になっていることを説明しなければならない。あきらかに年老いた女性たちは、新たに子供を産むのではなく、すでにいる子供や未来の孫やその他の親類を親身に世話することによって、自分の遺伝子を担う個体の数を増やしているのだ。
この進化的推理はいくつかの過酷な現実に基づいている。一つは、ヒトの子供が親に依存する期間が他のどんな生物よりも長いことだ。子供のチンパンジーは離乳すると自分で食糧をとりはじめる。

人間が一人前になるまでには、様々な道具の使い方や社会性を身につけねばならないので、育てるのに大変時間がかかります。その消耗のために、人間の女性は高齢での出産で死ぬ確立が高くなります。また、高齢の母親から生まれた子供は生存率が低く、健康に育ちにくいという現実があります。

そういうわけで、女性は年をとるにつれて子供の数が増えるし、長い間子供たちの世話を続けて、それまでつぎ込んできた大きな投資を妊娠のたびに危険にさらすことになる。
(中略)
これらの要因がセットになって女性は閉経する方が有利になり、その結果として逆説的ではあるが、子供を産む数を減らすことが、多くの子供を生き延びさせることにつながったのだ。

つまり、人間のような伝統社会では、女性が長生きすることは、子供のためばかりでなく、孫にとっても重要であるということです。実際の閉経後の女性の役割について、タンザニアの狩猟採集民での調査結果は、「食物採集に従事する時間が最も長いのは閉経後の女性だった」とあります。

食物採集の効率は、年齢と経験を積むほど増加するので、成熟した女性は十代の少女よりも高い成果を上げる。しかも、興味深いことに、祖母の採集効率は衰えをみせず、女ざかりの女性と同じくらい高いのだ。食物採集にかける時間が長い上に採集効率は変わらないので、閉経後の祖母たちが一日に持ち帰る食物の量は、どの若い世代よりも多い。彼女たちが持ち帰る食物は彼女自身の必要量をはるかに超えているし、もはや食べさせなければならない幼い子がいるわけでもない。

こういった分業的役割に加えて、ジャレド氏は「無文字社会における老人の重要性」を揚げています。氏の調査事例では、何十年に一度の大きなサイクロン被害や飢餓被害に際して、長老の記憶により対処(非常食とその食べ方などの記憶)できているということです。

その人はたいてい白内障で目が見えず、ほとんど歩けず、歯は抜け、誰かにかみ砕いてもらわなければ食べることも出来ない。だがその老人こそ部族の図書館なのだ。伝統的に文字を持たない社会なので、その老人は地元の環境について誰よりも詳しく、遠い昔に起こった出来事について唯一正確な知識を持っているのである。

原発言を巡る騒動から、ジャレド氏の仮説を元に考えてみたわけですが、現実として迫り来る高齢化社会を思いめぐらすとき、それは単なるバカ騒ぎでは済まないことになるのは確実でしょう。