ミュージシャンがメッセージソングで思想を歌うことの限界

「歌は世につれ」という言葉の通り、その時代に流行る歌は世相を反映しています。私は、最近の歌(音楽)はめっきり聴くことがなくなったので、自分が音楽をむさぼり聞いていた、10代後半から20代にかけての経験を元に、表題についての考えを述べていきます。

様々な音楽に数多くのジャンルがある中で、人がどんな音楽を聴くのかという動機は多様だと思いますが、私が若い頃は、歌詞の中にあるメッセージにとても注目をしていました。注目していたという意味は、歌詞の中に共感出来る部分があることとか、自分の求めている答えを歌の中に見いだそうとしていたことだったと、今になって振り返ってみるとそう思えるのです。

若い頃には、「強烈に音楽(歌)が好きだった」ということと、世の中の矛盾に憤る気持ちや、本当のことが知りたい(真実を求める)という思いを分化することが出来ず、それが一緒くたになっていた中で、自分のグル(「グルguru ग」はサンスクリットで「指導者」「教師」「尊敬すべき人物」などを意味する単語。「導師」「尊師」などとも訳される)をミュージシャンに求めていたわけです。

フォーク全盛の時代から、自分で作詞作曲するミュージシャンは、若者に影響を与える存在としてあこがれの的であったし、ラジオやレコードというメディアを通じて、身近に感じることが出来る存在であったため、様々なミュージシャンの中から自分のお気に入りを探し求める旅は、若者のエネルギーをつぎ込むのに十分な条件であったといえるでしょう。

私は人間の真実追究の源泉は、

  • 私はどこから来たのか
  • なぜここにいるのか
  • どこに行こうとしているのか

これにつきると思っています。これらのことを求める強さの度合いは人それぞれで、そんなことはどうでもいいという人も多いでしょうが、私個人としてはおそらくその探求心が強いので、今でも強烈にそのための「学問」を追求し続けています。ただ、今ではそれをミュージシャンには求めていません。それは無理だということがわかったのでやめたということです。それが今回の主題です。

私がかつて一番傾倒したミュージシャンは、ムーンライダーズであり、そのリーダーである鈴木慶一でした。彼の詩は、若き私の心をとらえ、私自身の作詞作曲活動に一番影響を与えた人です。20代前半までの私は、真実追究の手段を、自ら詩を書いて曲を作ることで表現しようとしていました。しかし、今になって思うと、真実追究の「思い」だけが強くて、空回りしていたのです。つまり、表現することばかりに夢中になっていて、社会の仕組みや世の中の成り立ち、その大きな真実の情報源というものを追求することなく、単に新聞やテレビの情報のみから判断してしまい、社会が悪いとか政治がよくないという、薄甘い思想で詩を書いていたのです。

今となってみても、鈴木慶一の詩は私の知る中ではすばらしいものだと思いますが、真実を追究していくことの延長線上に、理想を構築することが「思想」であるとしたら、音楽は、歌は、何をなしえるのか。世の中が悪いとか、政治がよくないとか、歌で表現した先に、ミュージシャンとして何を創造出来得るのか。歌に真実を求めようとした私には、歌を作っていく中に、その限界を意識せざるを得なかったのです。

ここで鈴木慶一の作品の中で、一番好きな曲。彼のソロアルバム(鈴木白書)の中にある「左岸」の詩を紹介します。

左岸

この川はいつからか 水が流れてない
ゴミの山とさび付いた船あるだけ 苔のように
恐竜の時代から 変わってないことは
太陽と空と生と死があること 過ぎてしまうこと
 向こう岸は 昔住んでいたところ
 左岸を海に向かって 僕は歩く 君を愛しながら

この愛はいつからか 片側だけのもの
お互いの心さらけ出すその時 愛は黙ってしまう
 向こう岸は 君と住んでいたところ
 左岸を 風に向かって 僕は歩く 君を忘れながら

最強の敵は 自分の中にいる
最高の神も 自分の中にいるはず

 向こう岸に僕の肉が迷っている
 左岸で骨になるまで 僕はしゃがんで
 ついに君に触れたことなかったね
 つぶやいて泥で顔を洗う

この歌は、メロディーもすばらしいのですが、その本質は宗教哲学を歌ったものです。そして、この詩に歌われている生死感を考えていくと、私の解釈では、釈迦の「色即是空・空即是色」を別の言葉で歌として表現したに過ぎないと考えます。中原中也の「骨」という詩もそうですが、そのような釈迦が行き着いた哲学を、別の言葉で表現していると思います。

(つづく)