どじょっこ ふなっこ

先月田植えを手伝ってくれたS君が「田んぼでドジョウを飼って食べましょうよ」と語っていました。今ではドジョウを食べられる店もほとんどないということです。

うちの田んぼも、無農薬で米を作っており、ザリガニや沢ガニやカエルやアメンボなど、いろいろな生き物が見られますが、ドジョウはまだお目にかかったことがありません。

自然のままの用水路が存在し、農薬などなかった昔は、ドジョウやフナがいたと聞きました。石川の農場にいたとき、山奥のダムで釣ってきたフナで作った「フナ汁」は大変おいしかったことを思い出しました。

このような環境が消えて行きつつある今の日本では、「どじょっこ ふなっこ 」のような土の香のする歌も、同時に消えていくのでしょうが、日本人として実に寂しい限りです。現代人の感性から「自然軸」が失われていく象徴として、自然観溢れる、土のにおいのする歌の消失もその一つだと思います。しかし、「神との契約」というような強烈な連帯のある宗教を持たない日本人には、自然との連帯がないと、その優しき国民性の安定が維持できないのではないでしょうか。

この歌、つくづく心にしみる名曲だと思います。


春になれば すがこもとけて
どじょっこだの ふなっこだの
夜が明けたと 思うべな


夏になれば わらしこ泳ぎ
どじょっこだの ふなっこだの
鬼っこ来たなと 思うべな


秋になれば 木の葉こ落ちて
どじょっこだの ふなっこだの
船っこ来たなと 思うべな


冬になれば すがこもはって
どじょっこだの ふなっこだの
てんじょこはったと 思うべな

(解説)シリーズ 日本のうたより

 東京の玉川学園中・高等学校は、「芸能隊」を組織し、全国公演旅行へ出かけるなど、本格的に合唱を取り入れた新しい学校として開校当初より有名でした。それは一九三六年第一弾である東北旅行での出来事。遠来の客をねぎらう歓迎会の席で、玉川学園側が得意の合唱を披露し、秋田側は民謡で応じる、そんな宴が佳境に入ったころ、秋田金足西小の教員である中道氏が、♪春になればァ〜♪と、ユーモラスな詩吟調子の歌を歌いはじめました。瞬時に面白いと反応した玉川学園音楽教師の岡本氏は、恥ずかしがる中道氏に「もう一回歌って」と頼み込み、詞をメモ。その日の内に旋律をつけ、合唱曲『どじょっこふなっこ』が誕生したといわれます。明治以降、西洋音楽を受容してすすめられてきた音楽教育ですが、それは仲間や家族が集まった時に自然に合唱が始まるような文化ではありません。そのような中でこの曲はユーモアのある詞の魅力もあってか、玉川学園の愛唱歌として歌い継がれてきました。そして戦後の「うたごえ運動」にも取り上げられ、一般に親しまれるようになります。
 詞の誕生については、豊口氏が十代前半のころ師範学校受験のため秋田に行った折り、宿で戯れに詩吟調の元歌を作り、歌い始めたという証言が複数残っています。この歌が県内に広まり、金足西小学校の中道氏に伝えられ、さらには作曲の岡本に伝えられた説が濃いようです。そして記念の歌碑などが建てられるようになると、他の東北隣県各地から、「似たような田植え歌がある」という声 、すなわち「どこもかしこもご当地ソング説」が多数報じられ始めました。今なおこの曲に対し「東北地方のわらべうた」と書かれた書物があるのは、そのせいです。
 都会では自然の中、ドジョウもフナもあまり目にしなくなっているだけに、『どじょっこ ふなっこ』の素朴で土臭い歌詞は、農村の四季を色とりどりに描くだけでなく、私達の心にも温かいものを描いてくれているのかもしれないなと感じます。もしかしたら東北の風土の中で、この歌詞を引き継いできた無数の人達ひとりひとりこそが、本当の作者なのかもしれないと思いたくなります。