アノミーとは何か その2

日本における連帯は元々どんなものであったのでしょうか。
小室直樹「日本人のための宗教言論」より

戦前日本の共同体システムの基本形としては、頂点における天皇システム、底辺における村落共同体の二本立てだった。
ただし、一口に村落共同体といってもこれには注意が必要で、村落共同体は共同体であるけれども血縁共同体ではなかった。それは一緒に仕事をするという共同体であったのだ。日本の共同体には、宗教共同体、血縁共同体、地域共同体というのはない。すべて労働共同体だけである。
それが戦後まず、頂点としての天皇共同体が、敗戦と天皇人間宣言によって崩れた。それから底辺における村落共同体は、昭和30年代、高度経済成長がスタートすると徐々に徐々に崩れていって、(中略)40年代からもう無くなってしまったも同然になった。となればすさまじいアノミー状態になるのは必然である。

しかし、昭和40年代にはまだ時代はアノミー状態にはなっていません。それを収束したのは、一つは左翼運動で、もう一つは会社であった、と小室先生は言います。
左翼運動がどのくらいの連帯を生んで、どのくらいの熱気があったものか私には体験がないので実感がわきませんが、小室先生によれば、連帯と熱狂以外に真の目的がなかった左翼運動は、内ゲバで片っ端からつぶれていき、その後の穴埋めをカルト教団が行っている、ということです。
もう一つの連帯、つまり会社というものに関しては、実感としては十分な経験があります。かつての私の父の行動で、会社が連帯の穴埋めをしていたことは確実です。管理職になり、地位が上がっていくほど会社(連帯)にのめり込み、休日でも会社に配達された新聞を取りに行くだけの目的で出社するのが日常になっていました。
特に驚いたのは、コンピュータ技術の進歩で不要になった旧型の電算機を家に持ち帰ってきては保存していたので、「このがらくたを何に使うのか」と問いただすと、「いつか我が社の歩みを展示する博物館を作るので保存している」ということでした。彼は連帯の幸福感を享受していたと思います。
会社のために商工会やライオンズクラブの役員も引き受け、家族ぐるみで運動会や旅行に参加しました。そういう連帯が地域労働共同体崩壊の穴埋めを行い、都市生活者の宗教となって、アノミーを防いでいたのです。
ところで、日本特有の会社形態については、小室先生は次のように述べています。

多くの日本人が誤解していることに、終身雇用制や年功序列が日本的経営だという認識があるが、これはとんでもない間違いで、この制度は以前の日本にはなく、決して雇用慣習ではなかった。では、いつからそうなったかというと、このアノミー状態を収束していく昭和30年代半ばからである。この制度を導入することにより、日本の会社は本来の利益追求団体から、共同体へと性格を転換させていった。

さて、鋭い読者はお気づきと思いますが、この会社連帯の弱点は、歴史(時間)軸が弱いということです。社会・世間という横の連帯にはめっぽう強いのですが、歴史の積み重ねがないことが、宗教に代わる連帯としては脆弱なのです。
そして、同じ時期に彼らの家庭内に強烈なカルト宗教が入り込んでいきます。それが「受験勉強」です。これは絶大な力を誇るカルトでした。そして絶対的なカリスマであり神であったのです。
何しろ受験勉強のためなら、先祖の墓参りも正月の初詣も「行かなくていい」と言われるのです。受験勉強をしていると「うるさいから」ということで節分の豆まきもやらなくなります。「参考書を買うから」と言えば、金はどんどん出てきます。後日「宗教の概要」の続きとして説明しますが、これはほとんど予定説の宗教です。四の五の言うことは許されない絶対的な教義なのです。
こういう状況の中で、内ゲバで破れた左翼運動の残党は、殉教するほどの連帯でもなかったので、その後就職するなどして社会に紛れ込みましたが、彼らは怨念を醸成させながら日本全体をサヨクの空気で包み込んでいきました。特にマスコミや教育界で、仕事を通して連帯崩壊を行ってきました。
そんな中、受験勉強が決定打となって、金属バットで親を殺すアノミーが出現したのです。
しかし、事件を起こした者だけがアノミーだったのではありません。天皇崩御を「ただのおっさんの死」と歌うのも、立派にアノミーの危険水域に入っているのです。