アノミーとは何か

知り合いのブログで、「昭和が終わったときに書いた詩が見つかって、恥ずかしながらアップした」のを見て、私も衝撃的に恥ずかしい経験を思い出しました。
私も若い頃、詩を書いて曲を作っていたのですが、同じように昭和が終わったときに書いた詩があります。しかもタイトルは「崩御」。今覚えている最初の2行だけ書きますが、それだけで十分に馬鹿さが伝わるものです。あえて恥を忍んで、後進のためのテキストとしたいと思います。
崩御
俺にとってみりゃただのおっさんの死だぜ
奴にとってみても失恋のほうが痛手だぜ・・・(後略)
今でこそ、「わしズム」に論文を書き、民族派を自認している私ですが、わずか17年前には、このようなウルトラサヨクの詩を大まじめに書いていたのです。いったいこれはどういう事なのでしょうか。
直接的には、あの時代特有のサヨク教育(広い意味で)があったと思います。特別な反戦教育や修学旅行等での体験はありませんが、例えば、実家は朝日新聞を取っていましたし、高校時代も漢文の教師が授業中に、天皇の事を「天ちゃん」と呼び、「天皇家はいいよなー、税金で食っていけるんだからなー」ということをよく聞かされた経験がありました。当時は、社会全体でサヨク的な空気が支配していたことから、そのような雰囲気に染まっていった経緯があったのだと思います。
しかし、その前段階として、家庭からも教育現場からも、かつて日本人として培ってきたもの(神話、神道、先祖や親を敬うこと、道徳、倫理、慣習)、つまり「民族的宗教的価値観」というものが抜け落ちたり、急激に変化してしまったことが根本原因にあるのではないでしょうか。
ここで、アノミーという概念を、小室直樹氏の「日本人のための宗教言論」から引用します。

アノミーとは何ぞや。これはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語であり、普通「無規範」「無秩序」などと訳されるが、それはむしろアノミーが引き起こす結果である。そこでこの言葉を一言で定義すれば、「無連帯」というのがその本質である。人と人とを結びつける連帯が失われ、人々は糸の切れた凧のようになり社会をさまよう。孤独、不安、狂気、凶暴。気弱な人は死にたくなる。いや、死んでしまう。アノミーはどんな病気よりも恐ろしい。

私がこのブログの総論で「基本のxyz軸」について書いたことを再読していただきたい。つまり人間は(狭く言えば日本人は)、何によって生かされているのか、何と連帯(つながっていること)して生きているのか。自然、歴史・未来、世間。このバランスが崩れると、アノミーとなる。
アノミーの中でおかしな詩を書いて精神病寸前となっていた私は、偶然か必然か、そこから脱出する機会を得、今このように反省の弁を述べているが、現在世の中には、急性アノミー状況が広がり、様々な社会事件となっています。
私はここ数日、時間のある限り、上の二人の息子(5歳と3歳)を寝かせながら、昔話をしています。それは、私が子どもの頃の話、例えば私の祖父(彼らにとってひいじいさん・とうの昔に亡くなっている)が私にしてくれたこと、その当時の暮らしぶりなどを聞かせています。息子たちは、会ったことのない祖祖父の話にとても興味を持ち、「それからどうしたの?それからどうなったの?」と、大変興味を持って耳を傾けています。
以前、タイのバンコクで世話になった家には、タイの王様や后の写真や、彼らの祖父母・父母の写真が家に飾られていました。タイの田舎の良家から、進学や就職で出てきて、バンコクという都会で暮らしている彼ら兄弟の家の中には、国教である仏教、親をはじめとする先祖や国家に関するものが常備されており、バンコクという都会でも連帯を失わずに暮らしているという印象を受けました。
それぞれの国の状況の中で、天皇や王家の位置づけは様々ではありましょうが、急激にそれらを無きものにしたり、価値を転換した場合、それに取って代わる価値観が無ければ、アノミー状況になるでしょう。私は少なくとも、自分の子どもに対し、天皇崩御にあって、「ただのおっさんの死だぜ」と言わせるような教育はしないつもりです。