世界の主な宗教のアウトライン

ロンドンの地下鉄でテロがあったようで、多数の犠牲者が出ているようです。アルカイダが犯行声明を出しているようですが、世界中の争いやテロルの根本には宗教があるということを日本人は理解していない現状があると思います。ロンドンのテロに絡めて話題を振るのは不謹慎かもしれませんが、そういうタイミングになってしまったのでお許しを。
以後しばらくは、小室直樹先生の説を元に、宗教について理解したことを整理していきたいと思います。
前に紹介した小室直樹著「日本人のための宗教原論」の1章は、「宗教は恐ろしいものと知れ」とあり、日本ではあまり紹介されていない旧約聖書の「ヨシュア記」にある、異民族を虐殺することの正当性が語られています。これについては別の機会に紹介することにして、まずは、世界の主立った宗教のアウトラインを整理したいと思います。

啓典宗教とそれ以外の宗教

啓典とは「最高教典」のことで、それを持っているかどうかで宗教が分類できるとあります。啓典宗教を以下に示します。

絶対である啓典を持っているのが啓典宗教で、この意味での啓典は仏教・儒教ヒンドゥー教道教・法教・ゾロアスター教マニ教にはないということです。特に仏教には膨大な教典はありますが、宗派によって重要とする教典は違っており、釈迦入滅後千年経っても続々と教典がつくられている事実は、啓典宗教と根本的に違うとしています。

啓典宗教の本質は、神の存在が大前提にあり、これを疑ったらそれは宗教にならないということです。その上で、啓典は神の命令(神との契約)であるから「絶対である」という特徴があります。
さらに啓典宗教には教義があり、これをドグマといいます。ドグマは絶対であって、ここから宗教に特有の狂信が発生するといいます。神が異教徒を殺せといえば殺すのが当然で、そのドグマが正しかろうが間違っていようが、ドグマに従うのが宗教であるということです。
ちなみに、仏教には根本論理(原因があり結果が生ずるという因果律・実態は存在せず、すべては仮の姿の相互連関であるという「空」の考え方)があるのみで、絶対的な教義はありません。

個人救済と集団救済

宗教には救済という命題がありますが、それが個人を対象にするか集団を対象にするかの違いで分類ができるということです。

ユダヤ教旧約聖書で、「神が奇跡を起こして救うのはイスラエルの民」としている。つまり民族全体の救済ということです。また、儒教は、聖人がよい政治を行えば、経済も文化も人心も何もかもよくなる、とあり、孔子にしても、徳の高い人が病気になった折に、結局「政治をよくしなければならない」と改めて考えたということです。
これに対して個人救済ということは、イメージはできると思います。たとえば、仏教について言えば、最終的に悟りを開けば、仏になって涅槃に入り、永遠の迷い(輪廻転生)から解き放たれるということです。

<つづく>