人類の排泄物問題

今から約1万年前に食糧生産(農耕と畜産)が始まり、人類は人口が増加した定住生活へと変化していきます。
人口の増加と余剰食糧の確保により、農耕社会が狩猟採集社会を駆逐して、勢力を拡大していきますが、その裏側で、排泄物の問題も抱えることになります。

定住と人口増加で排泄物が集中することにより、それが病原菌などの汚染源となって、感染の危険が増加していきます。

古代都市国家では、下水道が完備されていたところも多かったようです。ローマ帝国の都市の遺跡にも、高度な下水道が完備されていました。しかし、下水道で流した後、それをどう処理していたのでしょうか。

財団法人日本下水道協会のHPでは、次のように説明してあります。

歴史上、最も古い下水道は、今から約7,000年前(紀元前5,000年頃)にメソポタミアのチグリス・ユーフラテス河沿いにあったウル、バビロン、ニネヴェなどの都市に造られ、また、インダス文明の中心地モヘンジョダロなどにも下水道があったことがわかっています。
これらの古代の下水道は、その末端が都市の区域外まで延びておらず途中に沈殿池を設け、最終的には地下浸透させていたのではないかと言われていますが、この下水道は、汚水を処理するものではなく沐浴などの儀式に使われた水のみを処理する施設ではないかと主張する学者もおり、本当のことはわかっていません。

この説明から推測すると、古代都市国家の下水道は、排水をとりあえずどこかに流しておくだけで、その後の処理というものはなかったと思われます。もしそうだとすると、沈殿池のようなものがいっぱいになったらどうするのか、という問題が生じてきます。

古代都市国家が滅亡した後、排泄物の処理はどうなったのでしょうか。
いきなり時代が飛びますが、水の働きというサイトの中で、次のような説明があります。

 都市で下水道がなかったらどうなるか。歴史が答えてくれる。太古の昔から存在した下水が中世ヨーロッパでは消え失せた。ローマ帝国が崩壊し、行政機能が働かなくなったためである。19世紀初頭のイギリス。産業革命が起こりつつあり、都市に労働者が集中しはじめる。下水がないので街の道路に汚水と汚物があふれかえっていた。マンチェスターには380人の住民に対し、便所はたった一つしかないというありさまだった。
 コレラが大発生、1831年であった。1848年に公衆衛生法が制定され、下水道、上水道の整備事業が開始された。パリでも同じことが同じ年に起きた。1850年代から大規模な下水道工事が始まっている。日本でも起きた。東京にコレラ大流行。1877年だった。都市に下水道がなければコレラが流行するという関係。
「明治時代にコレラが蔓延した。伝染病で10万人が死んだそうです。

つまり、古代都市国家で排泄物処理の重要性は認識されていたものの、その後産業革命による極度の都市集中が起こるまで、放置されていたに近い状況であったと考えられます。

実際、私が13年前に行ったインドやバングラディシュでは、道ばたの堀で男性が大便をする光景を見かけています。
また、小学生の頃、家の便所はまだくみ取り式だったのですが、友達と河原を探検していたときに、巨大なうんこ溜めのクレーター状の穴を発見したことがありました。
最初はそれが何であるのかわからなくて、そのすり鉢状のクレーターの中に降りていったのですが、表面が乾いていた茶色の平面に一歩足を踏み入れようとしたところ、それがうんこの底なし沼と判明し、命からがらその蟻地獄のようなクレーターから逃げ出したことを鮮明に覚えています。

つまり、くみ取り式でバキュームカーが持って行った排泄物は、ただそこに放置されていただけで、何の処理もされておらず、おそらく一定量投入したら埋められたのだと思います。
江戸時代に有効活用していた人糞尿も、昭和になって有効活用の道を閉ざされ、放置・埋め戻しとなっていたのです。

その後、水洗便所や下水道の発達によって、排泄物問題はどうなったのか。今日のニュースで、横浜の干潟に生物が戻ってきたと報じていました。下水道の発達により、河川の水質が改善されたことが主な理由だということです。
川下(かわしも)の都市にとっては、下水道の効果は大きなものがあったのは事実だと思います。しかし、下水道によって人類の排泄物問題は解決するのか。というか田舎では、費用がかかりすぎて下水道は計画されていません。下水による川の水の減少についても述べました。

人類の排泄物問題。もう少し考えてみたいと思います。