まんじゅう怖い、mixi怖い

バイト先の書店で、手や顔に包帯を巻いて来店したお客を盗撮した上で、「ミイラ」などと中傷した文章をmixiの日記に公開した男性が、ネット上で批判にさらされている。バイト先の書店や男性が所属している大学などにも抗議の電話がかけられているようだが、この件について少し考えてみたい。

<男性の行為について>
この男性が携帯電話の撮影機能を使ってお客の写真を撮ったことについて、罪になるとかならないとかという論点がある。ミラーで公開されていた該当の日記を見る限り、写真のサイズは小さく、被写体の個人特定ができるような代物ではないので、肖像権の侵害にはならないというような意見もあった。また、単なる「バイト先の風景」を撮っただけなら問題はないという人もいた。
しかし、ログを見る限り、包帯を巻いた人を興味本位で追跡し、シャッター音がばれないように店内のBGMを故意に大きくした上で撮影したと本人の日記に書かれている。これは明らかに「バイト先の風景撮影」ではないし、盗撮という行為になっている。法的な罪を問う以前の問題として、店の店員が特定のお客に対して同意を得ずに盗撮をするという行為は、常識を逸脱していると思う。こんなことは絶対にしてはならないことである。
しかもそれをネタにして、「ミイラが来店した」などという日記を公開すること自体、悪ふざけと片づけられるものではないと思う。

さらに、この日記に対して、mixi仲間である人たち数人がコメントをしている。そこにはこの行為をとがめる書き込みは一切なく、「ばれなくてよかったね」などと「悪ふざけ」に加担しているようなコメントが目を引いた。mixiの性格上、コメント主も同年代で知り合いであると想像するが、それにしても、明らかに非常識なこの行為に対して「おまえのやっていることはおかしいぞ」と言える仲間がいなかったのだろうか、という疑問が残る。

<行為の反響について>
この「事件」は、ネット上で多くの人が知ることとなった。そのきっかけは、皮膚疾患に苦しむmixiの会員が偶然この書き込みを発見し、別の場所で発言したことから広がっていき、2chなどで取り上げられたことから大きく広がっていった。しかも、mixiの性格上、書いた本人の個人情報が特定できることから、実名、顔写真、学歴などの経歴、バイト先の書店など、個人情報が次々と特定されネット上で公開される結果となった。さらに日記にコメントした人たちの個人情報も暴かれていく結果となった。
この結果、本人やコメント主たちもmixiのページを閉鎖することになった。またこの男性が所属する大学の運動部の掲示板にも書き込みが殺到し、現在は運動部自体のHPも閉鎖されているという。また、男性は大学当局から厳重注意を受けているということだが、おそらくバイト先の書店かららも注意・処分を受けているだろう。それ以上に、これだけ大々的に個人情報がさらされた結果、社会的な制裁は膨大なものだと想像される。

<インターネットとmixiについて>
ネットの匿名性は、無責任な発言や、誹謗中傷、掲示板の荒らし等の問題を生んだ。私自身もその被害にあった経験がある。また、私は全国誌に論文を掲載した経歴もあり、実名で責任ある発言をするということの重要性を意識してきたつもりである。そのような状況の中で、SNSというものの出現は大いに歓迎すべきものであると期待をしていた。だから、mixiの会員を捜してこちらからお願いして招待してもらった経緯がある。
しかし、今回の一件は、SNSの非匿名性が逆手にとられた結果として、いわゆる2次的被害を拡大することになったと思う。もちろん男性の行為とそれをとがめることのできなかった常識のない仲間のコメントが問題の発端ではあるが、それは前述したので、それ以外の部分を考えてみたい。

mixiは閉じたネットワークではないということ。お仲間だけで盛り上がっているように錯覚したとしても、何百万人も会員がいるmixiは、いつどんな人が検索して見に来るか分からない。井戸端会議ではないということを意識しないといけないと思う。

○その上で、悪意の第三者mixi内の情報を外に持ち出す危険性を考えなければならない。私自身、現在mixi内では趣味の音楽について位しか発言していないが、SNSの主旨を尊重し、実名や顔写真を掲載している。mixi内でのやりとりの中では荒らしや誹謗中傷などは発生しにくいが、それがいったん外に持ち出されれば歯止めがきかなくなるという危険性をはらんでいる。今回の一件でこのことを認識させられた。


個人にしろ団体にしろ、一般人が公開しているHPやブログなどはほとんどが公的に価値のない情報である。少数のお仲間がお互いのページを見あって、うまい飯を食ったとか飼っているペットが元気だとか、井戸端会議の延長を電子に変換して確認し合っているような状況だと思う。だからこそ、その中で他人の中傷や差別的な話題というような、本来内輪で話している感覚がうっかり出てしまう可能性がある。しかし書き込みとは記録に残るものである、という重要なことをつい忘れがちになって、ノリで発言してしまうことがネットの怖さでもある。しゃべることと書くことは、全く性格が違うものであるのだが、しゃべるような感覚で書いている(打ち込んでいる)ネットは、その中間に位置するきわめて不安定で危険なものであると、改めて認識する必要があるだろう。