二重言語国家・日本 

二重言語国家・日本 (NHKブックス)

二重言語国家・日本 (NHKブックス)

356頁 あとがき

 歴史は、文字に記された文献、あるいは考古遺品から浮かび上がらせるのが一般的である。しかし、残された書の一点一画の筆蝕と構成(書きぶり)を克明に辿れば、時代とともにある作者(政治家や知識人)が手にした筆の筆尖が紙に接触し、摩擦し、離脱する全過程を再現的に直かに目撃することができる。この意味において、書は、いっさいの加工のない0次資料とでもいうべき超一級の資料である。
 おそらく、書のスタイルが大きく変化するときは、時代の無意識(歴史を動かす源泉である自覚されない意識)が大変貌を遂げている時代であり、逆に、変化の少ないときは、時代もまた安定もしくは停滞の時代だと言えよう。本書は、書のスタイル史は精神史と相似形を描くという観点に立った弧島(弧なりの群島)史である。
 この歴史解読法からは、従来の日本史の通念とは少々異なった歴史像が浮かびあがり、また異なった解答へと導かれる。
たとえば、
一、縄文期と弥生期は無文字と有文字によって区分できる。
一、七世紀半の日本国の成立は東アジアの楷書成立と深い関わりをもつ。
一、弘仁貞観期以前と藤原以後の間には、日本前史から日本後史と呼ぶような大転換がある。
一、平安期と鎌倉期の問には飛躍があるが、これには大陸からの禅僧の亡命と密接な関連がある。
一、江戸時代は、やはり停滞と歪みの時代であった。
などである。
 詳細については本文をお読み願いたい。幸いにして、ここに描き出された歴史像が一顧されれば、『本史も「国」史の枠を解き放ち、東アジア史的、世界史的な視野を獲得できるのではないかと考える。その一助となれば本望である。

石川九楊(いしかわ・きゅうよう)書家。京都精華大学教授。・文字文明研究所所長。一九四五年生まれ。